2011年08月23日

この夏

父母がこの夏を、空調も安定し、医療に近い場所で過ごしてくれたことで、私は精神的に安定した毎日を送ることができた。逆に、それによって、いかに自分が精神的な負担を背負っていたかを自覚してしまった。



地震があると、まず両親の身を案じ、夜中に物音がすれば飛び起きて、安否を確認する。
興奮させないように(血圧をあげさせないように)注意しながら、言葉を選んで、会話をする。
だんだんと失われてゆく「衛生面」や「危険な行動」に関しての意識指導、管理調整をする。
(数え上げたらキリがない)。
そして、出来るだけ自分で出来る事はさせるようにして、今はまだ保っている能力の維持を訓練する。

だが父に関していえば、「自分はとことん、がんじがらめの生活を送っている」と思い「少しくらいいいだろう。たまには、これくらいいいだろう」と、自己主張する。「だってこんなに、がまんした生活を送っているんだから」と。「だから、少しくらいお前がやってくれたっていいだろう」と。

見えないところで、あらゆる手段を講じてがんばっている私に、そう、平然と言ってのける。がんばっているのは、自分だけだと思っているのだろうか。それとも、私が口うるさく言うから、それに従っているだけで、全てのがんばりを、自分の為だとは思っていないのだろうか。

理由はどうあれ、制限のある生活をしなくてはならないのは確かなので、出来るだけ、望むままの生活を送らせてあげたいとは思う。けれど、そのために自分を犠牲にするのは違うと、周りの人に教えられた。なので、私がそばにいる事で成り立つ生活は、もうこれ以上は続けさせてあげられない。私にもしもの事があった時に、立ち行かなくなるのは目に見えているのだから。

父が、どれだけ自分の身体の状態や、おかれている環境を、客観的に認識するかが大事なのだけれど、すでにその能力も低下しつつあるので、希望が持てない。
となると、タイミングを見て、私自身が、何かしらの判断をしなくてはならないのだと思う。

母も、今は老健で落ち着いているが、老健自体いつまでも居られる施設ではない。特養への移動も、タイミングをみなければ、入れるものも入れなくなる。

他の誰でもなく、私一人でその決断をしなくてはならないのかと思うと、本当に、本当に、胸が苦しい。

決断したくない。
決断する事が、父母のこれまでの生活を奪う事でもあるから。

でも、近い未来。決断しなくてはいけないのはわかっている。
先延ばしにしたところで、未来が変わるわけでもないのだから。


chiaki_aoi at 00:20│Comments(0)TrackBack(0)親/医療 

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